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奈良 旅とくらしの玉手箱 フルコト
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■ 752年→2012年 奈良太郎(東大寺の大鐘)
2012年 03月 12日 |
2012年3月11日14時46分。
あの日あの時からちょうど一年。
東大寺の鐘は撞かれました。

私ははじめて聴く日中の鐘の音に耳をすませ、
フルコトの窓辺にたたずんでいました。
居合わせた、お客様と一緒に。


以前から夜聴こえてくるな…とは思っていた、東大寺の鐘。
でもはっきりと意識したのはあのときから。




北袋町の自治会長
吉野のくずもちで有名な酒屋、笹鉾「よしのや」の奥さん、
そして鍋屋町の清水郁子さん。
私をふくめ、奈良きたまち在住の4人は
TV番組を制作している株式会社ぷろぺらのディレクター氏に熱くしゃべりまくっていました。
東向北のカフェワカクサで。

実は、NHKBSの「熱中スタジアム」という番組の奈良特集、
第2夜 おとなの修学旅行~ウラ奈良編~の取材を受けていて、
「ウラ奈良」といえば「奈良きたまちですよ!」とあれこれ語っていたのです。

ひとしきりしゃべり疲れて、じゃあ収録にもご参加くださいねと言われました。
全員が二つ返事でひきうけたのは、
NHK奈良放送局(しかも鍋屋町)のスタジオに行くもんだと
信じ込んでいたという笑い話もありました。

取材のときに清水郁子さんはこんな風に言われました。

「夜8時の東大寺の鐘の音、聴こえたり聴こえなんだりするのが不思議やね。
ちょうど晩ご飯食べ終わって洗い物してるころやんか、
ああ、あの人に連絡せなとか、あれはどこへしもたかなとか、
たまにはもっと深刻なこととか、ぼんやりと考えもってお皿洗う。
そこへかすかにゴーンと、鐘の音が届くんよ。
聴こえないときって、なんやろう、考えすぎのときなんかな、
やっぱり単純に風向きなんかな…。
でも、あの鐘の音は沁みこむなあ、
なんてったって奈良時代から変わらぬ音色やと思うと」

私の家は清水さんの家より少し東大寺から遠くなります。
自宅物干しに出るとよく聴こえることがわかりました。
次の日にさっそく聴いてみると、…心が静まるのです。

さて、私たち4人はウラ奈良はきたまちや!と意気込んで取材に応じたものの、
実際の番組ではことさら「奈良きたまち」という取り上げ方はされませんでした。
収録の際、渋谷のスタジオであなたはこの事についてしゃべってくださいと
与えられたテーマが「私がコレについて話すのん?」なんてこともありました。

ですが、清水さんは実際の放送でも「東大寺の鐘の音」について、
語っておられます。赤はちまきをして。

このことががきっかけで、意識して鐘の音に耳を澄ませるようになりました。

ここフルコトで私が最初に手がけたイベントは
ほろ酔いで奈良太郎を聴く宴~米・米・米・月~でした。
奈良の地酒を味わいつつ、東大寺の鐘の音を聴くという贅沢なお遊び。
もちろん清水さんもご参加くださいました。


元気溌剌で自由闊達で世代性別を超えて多くの人を魅了する
チャーミングな清水さんは2012年2月に急逝されました。
お亡くなりになったというニュースは奈良中をかけめぐり、
多くの人を驚かせ嘆かせました。
「昨日まで元気で自転車乗ってはったのになあ」
そんな声が、お通夜ご葬儀を通して聴こえてきました。


2012年3月11日14時46分。
東大寺の鐘は撞かれました。
私は清水さんとも一緒にその鐘の音を聴きました。
未曾有の悲劇からちょうど一年。
み魂よやすらかにとただひたすらに。


聴こえる日もある聴こえない日もある。
それは心次第で風次第。


東大寺の梵鐘は鋳造完成が752年ともいわれています。
752年天平勝宝4年の大仏開眼法要にはその響きも都のすみずみまで届いたことでしょう。
また、752年の干支は今年と同じ、「壬辰」でありました。
また、過去には地震などで二度ほど鐘楼から墜落・転落があったそうです。
その時、どのような音が鳴ったのでしょうか。
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